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ココ・シャネルとは?残した名言とシャネル創業の歴史

ラグジュアリーブランドとしてその名を馳せているシャネル。そのシャネルを創設したファッションデザイナー・ココシャネルに、憧れを抱く女性は多いのではないでしょうか?

ココシャネルの生涯は、全てが輝かしく羨望に満ちたものではありませんでした。世の中の暗い部分を経験した彼女だからこそ、その強さがより輝き、貫いた自由の信念がシャネルを揺るぎないブランドにまで押しあげたのです。

本記事では、ココシャネルの生涯や残した名言・功績をご紹介します。記事の後半では、シャネルの代表的なアイコンに込められた背景を解説するので、最後までご覧ください。




1.ココシャネルの歩んだ人生

ココシャネルの生涯は波乱に満ちたものでした。しかし、そこに彼女の強さや信念、想像力の源が詰まっていたのです。

彼女が人生をどのように位置づけ、歩んできたかを見てみましょう。

ガブリエル・シャネルの誕生

1883年8月19日、ガブリエル・シャネルが誕生しました。このときに定められた星座は獅子座。のちに、シャネルの代表的なアイコンになります。

幼いころ、母親を亡くした彼女は行商をしていた父親に見放され、10代までを孤児院や修道院で過ごしました。「本は私の親友」と語った彼女の心のよりどころは本。

本が誘う未知の世界は、彼女のインスピレーションをかきたてていたのかもしれません。

ココシャネルの自由な信念

18歳で社会に出てからは、洋品店のお針子をしながらショーパブで歌い、人気を得ていました。その時に歌っていた歌のタイトルから「ココ」の愛称がつけられたといわれています。

その後、当時の恋人を通じて上流階級の暮らしを経験。そこで、当時の女性たちが身につけていたコルセットや動きにくいドレス、まるでデコレーションされたケーキのような帽子に疑問を持ち始めます。

そんな女性たちのなか、ココシャネルだけはブラックドレスを身にまとったり、動きやすい服装で乗馬をしたりと、彼女の本質に従った自由なファッションを貫きました。

始まりの店「シャネルモード」

当時、彼女の制作した帽子を有名な女優たちがかぶり、注目の的に。そこから帽子店「シャネルモード」をスタートさせます。好評を博した彼女の帽子はまたたく間に人気となり、次第に事業を拡大。次は洋服店をオープンしました。

シャネルの快進撃はとどまることを知らず、彼女の自由な創作が女性のファッションを根底から覆していきます。

この時、彼女の最愛の人アーサー・カペルが、交通事故でこの世を去ることに。

深い失意に陥った彼女でしたが、その意志の強さでファッション界をリードしていきます。

戦争と世界恐慌の時代

第二次世界大戦や世界恐慌により多くのクチュールハウスを閉店。彼女はこの時代、女性がファッションに構える状態ではないと判断し、約15年間ファッション業界から身を引きます。

しかし、1954年に舞い戻り、以前のように女性を解放するファッションを提供し続け、過去50年間に最も影響を与えたデザイナーとしてモード・オスカー賞を受賞。彼女の栄光は世界的に讃えられました。

ココシャネルの最期

ココシャネルは、1971年ホテルリッツでその人生の幕を閉じます。棺のなかには、シャネルのシンボルカメリア(椿)をはじめとした、白い花と少しばかりの赤いバラで飾られたそうです。




2.ココシャネルの残した言葉たち

輝かしい世界を創造し続けるココシャネル。

彼女の残した数々の言葉から、その原動力の強さが伝わります。

「かけがえのない人になりたいのなら、人と同じことをしていてはだめよ」

当時の女性の服装を覆してきた彼女の革新的なデザインは、現在のファッション界の基礎をつくりあげました。

その結果、彼女はファッション界に大きな影響を与え、かけがえのない存在に。

自分の個性・才能を見いだし、自分らしさを表現することを大切に、というメッセージが込められているのではないでしょうか。

「成功は、多くの場合、失敗が不可避であることを知らない人によって成就される」

常に新しいことにチャレンジし続けたココシャネル。そこには語られていない失敗も数多くあったでしょう。

多くの失敗や困難を乗り越え、彼女はアイディアを世に送り出し続けました。

成功をおさめるには失敗は必ずするもの。チャレンジし続けることが大切というメッセージ性が感じられますね。

「私は流れに逆らって泳ぐことで強くなったの」

厳しい環境下で育った彼女は、成功をおさめるまで多くの逆境や困難を経験しています。

様々なことを経験し、つらいことを乗り越えてきたからこそ得られる輝き。

自分の信念を貫き、逆境に立ち向かう勇気を与えてくれる言葉です。

「私は流行をつくっているのではない。スタイルをつくっているの」

彼女は自分がつくりだすファッションを「流行」とは呼びませんでした。

ココシャネルという「スタイル」と呼び、彼女自身のスタイルが一時的な流行ではなく、永遠の個性を表すものであると信じていたのかもしれません。

自分を信頼し、自分自身を表現する強さ。そんな強さを持つすべての女性たちを尊重し、紡がれた言葉のように感じます。




3.シャネルが起こした革命

ココシャネルのスタイルが詰まったブランド「シャネル」。

ファッション業界だけでなく、世界の女性たちに革命をもたらしてきました。

シャネルが残した功績を見ていきましょう。

リトルブラックドレス

1920年代に流行したリトルブラックドレス。当時、ブラックは喪服の色の意味合いが強く、おしゃれな女性たちが、鮮やかなカラーを装っていた時代です。

しかし、ココシャネルが語った「たくさんの色を使うほど、女性は醜くなることに気づかない」という言葉通り、彼女はブラックこそがむだをそぎ落とした上品なカラーだと注目。

1926年に発表されたリトルブラックドレスは、ウエストラインがゆるい、ブラックカラーのミニドレスでした。コルセットが必要ないことや、汚れが目立たないカラーとして機能面も抜群。

リトルブラックドレスの発表は、女性たちの新たな「定番」をつくりだしたのです。

ジャージ素材

ココシャネルが求めていたスタイルは「活動しやすいファッション」。この考えにジャージ素材はぴったりでした。彼女は、男性の下着に使われていたジャージ素材に着目。女性がおしゃれに装える衣服にこの素材を採用します。

レジャーの流行や、戦争のため高級素材が手に入りにくくなっていた当時の背景が、ジャージ素材の人気を後押し。その後、ジャージ素材のスタイルが流行しますが、その流行が過ぎてからもココシャネルはそのスタイルにこだわり続けます。

他者から揶揄されようと、自分の見いだした素材を尊重し、つくり続けたからこそ、ジャージ素材の衣服が一般的になったのかもしれませんね。

コスチュームジュエリー

シャネルには本物の宝石を使用した「ファインジュエリー」と、本物の宝石は使用せずデザイン性を大切にした「コスチュームジュエリー」の2つがあります。

コスチュームジュエリーをビジュー・ファンタジーとして発表したココシャネルの試みは、それまでのジュエリー業界において反逆的でさえあったそうです。しかし、彼女はアクセサリーを富の象徴ではなく、自分を美しく見せるアイテムにしたいと考えていました。

やがて、手に入れやすい価格とデザイン性の高いコスチュームジュエリーは、アメリカを中心に世界へ広がり、かの有名なマリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンからも愛されたのです。

N°5

シンプルな香水瓶のなかに秘められた「女性そのものを感じさせる、女性のための香り」を表現した香水・N°5。

意図的に人工合成香料を使用した初めての香水・N°5は、シャネルにとって新しいマーケット市場でその名を馳せ、人気を得ました。

N°5には、マリリン・モンローが語った「ベッドの上ではなにを着ているか」との問いに「シャネルの香水、N°5だけ」というエピソードがあります。

当時、香水にブランド名を刻むことは一般的ではありませんでした。しかし、N°5を発表以降、ブランド名を冠した香水の販売は定番となっています。

2.55バッグ

女性が動きにくいドレスやコルセット、重たい帽子などを脱ぎ捨て、自由になることを好んだココシャネル。2.55バッグもその思想から生まれたバッグです。

女性が両手を自由に動かせるバッグをデザインしようと、キルティング生地にチェーンストラップを付けたバッグが誕生します。現在の「マトラッセ」の原型となるバッグですね。

女性の社会進出が進んでいた当時の背景と需要が合致し、2.55バッグはシャネルのアイコン的バッグになりました。




4.シャネルのアイコニック

シャネルの象徴的なモチーフには、ココシャネルが愛した様々な背景があります。

代表的なものを見ていきましょう。

カメリア(椿)

シャネルのアクセサリーをはじめ、バッグや財布にデザインされるカメリア。ココシャネルの棺に添えられるほど、彼女を象徴する花です。

カメリアは彼女の最愛の人アーサー・カペルが、ココシャネルに贈った花だといわれています。カメリアの花言葉は「永遠の愛」。

彼女にとって、カメリアは特別で、自分を表現する大切な花だったのでしょう。

リボン

「ジュエリーが女性の指に柔らかなリボンのように結ばれる、これが私の望み。私のリボンはしなやかで自由」そう残された言葉があります。ココシャネルにとって、リボンはなににも束縛されず、自由に自分を表現するシンボルだったのかもしれません。

ファインジュエリーのコレクションとして発表されたリボンのモチーフは、現在もシャネルのアイコン的存在としてアクセサリーをメインに採用されています。

ライオン(獅子)

ココシャネルの星座、獅子は強さを象徴し、彼女にとってインスピレーションの源でした。
ヴェネチアの獅子の像に出会ったココシャネル。それは、アーサー・カペルを亡くし、失意の底にいた彼女を奮い立たせる出会いとなります。

常に、ライオンの像を傍らに置いていたことも、彼女自身が強くあるためだったのかもしれません。

ライオンをモチーフにしたコレクションは、身につける女性たちの威厳とインスピレーションを尊重するようですね。





5.シャネルの他、代表的なハイブランド

ココシャネルのスタイルが詰まったシャネルのほか、世界には有名なハイブランドが数多く存在します。

そのなかでも代表的なブランドをピックアップしました。

ルイヴィトン

フランスを代表するブランド・ルイヴィトン。世界に名をとどろかせ、ハイブランドとして多くの人々に愛されています。

ルイヴィトンは「旅」をコンセプトにしたアイテムを展開。始まりはトランクケースでした。

フランス国王の王妃が発注したトランクをきっかけに、貴族の間でルイヴィトンが人気に。成功への礎となったのです。

ルイヴィトンのアイテムは高品質で、落ち着いたデザインが特徴的。年齢を問わず、多くの人がこぞって愛用するブランドへと定義づけられています。

エルメス

フランスで創立されたブランド・エルメス。シャネルやルイヴィトンに並ぶ有名なハイブランドです。

エルメスのデザインでよく登場するのが馬具や、馬のモチーフ。これは、エルメスの始まりが高級馬具工房だったことに由来します。その後、時代の変化とともにバッグやジュエリー、ファッション業界へと進出を果たし、多くの人に愛される地位を確立しました。

エルメスのアイテムは、最高級の革と、熟練の職人技術によりつくりだされています。一つひとつ、人の手をかけているバッグや財布などは耐久性が高く、美しい仕上がりを実現。

その最高の素材と職人技術でつくられる「バーキン」「ケリー」はエルメスのアイコン的バッグとなりました。

ディオール

ディオールはフランスで設立されたブランドです。現在は、ジュエリーをはじめ、ファッションアイテムやコスメアイテムでもその名を見かけますね。

ディオールは、簡素な服装が求められていた第二次世界大戦後、シルクを大胆に使用した女性らしいスタイルを発表。それは斬新なスタイルで「ニュールック」と称されました。

常識を根底からひっくり返すようなディオールの姿勢に、世間は批判することもありましたが、次第に世界的に有名なハイブランドとして浸透。

ディオールの生み出すバッグや、香水、コスメはギフトとしても喜ばれています。




6.まとめ 揺るぎないココシャネルの世界

逆境や困難を乗り越え、自分を表現することをあきらめなかったココシャネル。歩んできた人生の重みを、残した言葉やシャネルが生み出すスタイルから垣間見ることができますね。
彼女は現在も、自由と信念の象徴として多くの人々から愛され、讃えられています。

中古市場でも年代問わずシャネルのお品物は人気が高いです。積み上げられた歴史とココシャネルの人生が作り上げたアイテムの数々は不変的な魅力があります。

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